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マインド(思考)と身体は切り離せない
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     篠笛を始めて早4ヶ月が過ぎようとしている。

    まだまだ、新しいことを少しずつやっている段階なので楽しい。
    家での練習は5分と続いてない?!ことも、全くやらない日が続いたりもしていた。

    しんどい、と思うとやめ、吹きたいと思えば吹く、というような気ままな練習をしていたからだ。

    以前よりは、息は続くようになったと思うがまだまだ安定しない。

    篠笛の楽譜は縦書き、縦のラインは好きなだけのばしてよかったりする。
    西洋音楽より自由な間の取り方は日本的な気がして性に合う。
    一行は、基本的に一息で吹く。

    前回のレッスンで先生に、「行の後半が重たくなっている。」とご指摘を受けたので、そこに注意をして吹いてみると、スゴく楽だった。
    その後、家で吹いているとき『んんっ?!』と気づいたことがあった。

    もしかして、『息が続かなくなるかもしれない』と考えることそのものが、息を続かなくさせる”使い方”つまりは”誤用(ミスユース)”をまねいているのではないか?

    そこで、『息が続かなくなるかも』と思うことをやめてみた。

    すごい!上手くいった!

    あ〜、これがいわゆる『心と身体は切り離せない』ってことか〜と身をもって実感した。

    だが、”誤用(ミスユース)”を誘発する”考え(thinking)”は次から次へと出てくる 

    息継ぎする瞬間、そのことに囚われて音楽としての流れが途切れてしまう、とか。

    行数が増えると、今この行を吹いているのに最後の行の息が足りるかと心配していたり、とか。

    手孔を打った際、音によっては持っている篠笛が不安定になるため、音が大きく飛ぶ部分の心配をしたり、とか。


    今日のレッスンでは、最初の時に出せなかった高音を出す練習をした。
    すると、少しだけど高音を出すことが出来たし(体験の時は全然でなかった)、なんとなくどうすればいいか分かった気がしてうれしかった

    だが、それと同時に高音って息をたくさん使うよな〜なんて心配を先先している自分にも気づいて思わず苦笑いしたのだった
    posted by: enlightenblog | 篠笛レッスン | 13:06 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    友人がメールに対する返信で「何だか言葉が心に染みてきます。イメージが湧いてきました!心がほんわかした気分です。」言ってくれました。
    私が何てメールしたかというと(前後は省略)、
    「今、私のアレクサンダー・テクニークのテーマは、”自分自身を大切に扱う”です。自分自身を大切にすることでしか、他者をいたわったり、大切にすることはできないですから。」
    実家と嫁ぎ先両方の介護を孤軍奮闘しているであろう友人に、宛てたメッセージだったんですけど、受け取る側の感性でこんなにも大きく羽ばたくんだなと、思いました。
    『求めよ。さらば与えられん』ではないですが、テクニークを媒介として得られる気づきや学びは、その人の求めに応じて、もしくはそれ以上かもしれませんね。
    | Hiroko Uno | 2011/08/26 2:10 PM |
    先日、人類の歴史に新しいものはない。あるのは繰り返し。という言葉を聞いて何か安心を覚えました。先生がレッスン中に[今、どうか?] と聞かれそのものこそが生きるという事そのものだと痛感します。アレクサンダーテクニークに深遠なものを求めてレッスンを初めたわけではないのですが、こちらが望めばテクニークは何処までも付き添ってくれる気がします。
    | たそがれ | 2011/07/28 11:46 PM |









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