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オーラソーマ 今日のボトル
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発表会の”あがり”を経験して考えたこと
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    発表会での”あがり”を通して、いろいろなことを考えさせられた。
    発表会までは、
    アゴの緊張は、実は舌が緊張しているのではないか?
    だが、舌の緊張、アゴの緊張を直接なんとかしようとすると、上手くいかない。

    数日前の練習のとき、腕の方向性を思い、背中がひろがると
    結果としてそれがミーンズウェアバイとなり、楽にふけることが分かった。

    しかし、それを再現しようとすると、あまりできる気がしない。

    地に足がつく、宇宙の中心とつながり、地球の中心とつながっている感じ・・・わるくない。
    だが、吹き始めるとそれらが保たれていないことがわかる。
    再現できなければ、できる気がしない。
    練習の時に再現できないものを、本番で出来るのか?
    などと考えた。そして・・・
     心と身体は切り離せないという。
    アレクサンダー・テクニークについての本を改めて読み返しながら、
    ”あがる”理由がわからない、について考えてみた。

    頭が思考し、それに伴って身体が緊張するのなら、”あがる”理由はあるのかもしれない。
    でもそれでは、心と身体は別ものということになってしまう。
    コントロールする側にもされる側にも区別はない・・・はず。

    そういえば、”顎ががくがくするほど緊張している”状態に身体がなったことを通して、
    わたしは私自身の緊張を知覚できた。
    身体がそうなるまでは、意識ではそれほどのものであることを認識できていなかった。
    身体のその状態こそが、感情そのものであり、こころ(わたし)そのものだとしたら?

    どのタイミングで抑制するのか?
    誰が抑制するのか?
    コントロール不可なのに、誰が何をコントロールするというのか?
    根本的なそんなことがわかっていないことに気づかされた。

    と、ここまできてあっと思った。
    ”コントロールすること”と”抑制”を混同している・・・と。
    抑制は”すること”ではなく、したがってコントロール”すること”でもない。

    じぶん自身と一緒にいる、に尽きるなぁ。

    ということで(←私の中での)、2013年3月30・31日に広島県福山市で開催するブルース・ファートマン先生のWSのテーマを決めました!

    詳しくは、こちら

    posted by: enlightenblog | アレクサンダー・テクニーク | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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