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母の怪我の介護をして2013.03.20 Wednesday
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先月18日母が車の事故に遭った。
その日はちょうど関西方面に行っていたので、病院には付き添えず、
骨には異常がなかったということと、事故の状況だけ聞かされた。
母は簡易の腰のサポーターをつけていた。
事故の翌日から、横になったままで少し動くのにもうめき声を上げるほど痛いようで、
痛み止めを飲んだときだけ少し楽になる、という状態だった。
トイレに付き添った際、そんな中でも 「痛いからと言って、顔をそんなにくしゃくしゃにして頭を下げると余計痛いよ。」 というと、え?と頭を上げる。
すると、「ほんまじゃ。(ほんとうだ)」
トイレ行きは、最初ははいはいのようにして、それから椅子をバケツリレーの要領でつかまりながら、と徐々に起き上がれるようになった。
10日経ってもやはり腰の痛みを訴えるので、再び病院でレントゲンを撮ってもらうと、当初骨に異常はないはずが、胸椎の一つが圧迫骨折のような状態になっていることがわかった。
「3週間とにかく横になったままにしておくしかない、ご飯も寝たまま食べて、トイレはオムツで・・・」
言われることは、わかるけど80歳に近い年齢の母が3週間もそのように過ごすと、筋力が一気に落ちて動くことそのものが難しくなるのではないか、と思った。
母は、”オムツでなんかできん!”とやはり帰宅してからもトイレに行くと言ったので、より脊椎に負担がかからないように注意をしながら付き添った。
すると、「動くと身体が軽くなったような気がする。」
その言葉を聞いて、私も”やはり、動くことが大切”と母に動きながら回復をしてもらう手助けをしようと思った。
簡易の腰のサポーターをはずし、腰の辺りに触れると、仙腸関節あたりを中心にものすごく固めて(緊張して)いることに気づいた。 するとするすると筋肉が弛んでいくのが感じられた。
それによって母も”背中が楽になったようだ”という。
簡易のサポーターであっても、痛む母の支えになるならと考えていたが、その部分を”固定”することが反って負担になっているのではないかと、病院から帰ってすぐはずした。そして、どんどん固めている部分を弛めていって動くようになってもらおう、と考えた。
寝ているだけなのに、お尻の辺りが痛い、下側になっている脚が痛い、と母は言う。
「”寝ているだけ”だけど、寝返りをうとうとする時など姿勢を変えるのにも、そのあたりをぎゅーっとしているのは自分だよ」と言いながら、「ほら、ここが弛むと動かすのが少し楽ではない?」と聞くと”どうやら、そうらしい”という顔する。
そのうち、「実はあんたがやっとることが何なのかようわからんかったけど、身体が軽くなるし、言われたことをやめると楽なのがわかる」と余分な緊張を弛める体験をすると言うようになった。
もちろん、うん十年もやってきた癖が一朝一夕には変わらないが、今までは何をしても「ようわからん。何も感じん。なんもしとらん。」だった人が痛みがあることで聞く耳をもってくれて、何より学ぼうと思ってくれることの大切さを私自身が実感した。
まさに怪我の功名とはこのことかもしれない。
きっと怪我をしていなかったら、ここまで変化することはなかったかもしれない、というほど母の身体は変化したように思う。板のようだった大腿部外側の筋肉は柔らかくなり、甲高だった足や足首もここまで今まで動いたことはなかったかもと思う状態だ。何より鉄板といわれてきた腰の柔らかさ!
現在は、1人でも立って歩いてトイレに行くことができるようになっている。
事故からちょうど一ヶ月、もしも寝たきりにさせていたら、こんな状態は望めなかっただろう。
アレクサンダー・テクニークのワークで母の身体の緊張を弛めることができる、本人のできることはやってもらうと同時に、やらなくていいことはやめてもらう、がなかったら、介護するのも大変だっただろうと思うが、私はそういう意味で自分の身体に負担をかけることなく今日までこれた。
それらすべてに、感謝の気持ちでいっぱいだ。
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